小説『ノルウェイの森』は傑作だと思う!【1】

最初に断っておくけど、僕はこの20年間に公表された村上さんの作品はほとんど読んだことがない。そういう偏った知識だけで書いている、偏見に充ちたお気楽日記です。だから、熱烈な「ハルキスト」の方はどうかこの駄文は素通りしてくださーい!

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村上春樹さんの小説は、あまり読まないし、どちらかと言うと嫌いである。

どうして嫌いか?作品の特色に幅がないからである。

誤解を恐れずに言えば、村上さんの作品は一種の「職人芸」だと思う。

普通、長編小説というのは何かしら良い「材料」を必要とする。皆が知っている、文化や古典に関する伝説、故事を組み込み、読者の興味を引く。同時に、そういう材料をうまく料理することで、内容を豊かにしていき、読者を楽しませる。

郷土史の観点から人間を描いた宮尾登美子、日本史や世界史の中から英雄たちを描いた司馬遼太郎、古典漢文の世界から人間を掘り起こした中島敦… 言いだせばきりがない。日本近代小説の最初期の文豪、夏目漱石も、作品の主題こそ現代にしているけど、江戸文学の洒脱な表現方法をうまく利用しているので、やはり似たようなものである。

欧米、ロシアの近代小説もほぼ同じだと思う。ディケンズドストエフスキーヘミングウェイ… もうこれくらいにしておこう。とにかく、みんなそれぞれに「郷土」「ふるさと」の臭いというのが、文章から伝わってくる。

でも、村上さんの小説には、そういう要素は期待できない。彼の作品には、普通は作家にあるはずの、育った地域、国につながるような雰囲気、土の匂いというのが全くない。良くも悪くも「無国籍」。あるいは「アメリカの文化的植民地」。物語の舞台がモンゴルであろうとアルゼンチンであろうと南アフリカであろうと、ほとんど関係がない内容。それが春樹ワールドの特徴だと思う。

本人もいろいろなところで公言しているが、少年時代から村上さんは日本の近代文学にはあまり興味がなかったという。一方で米国文学にどっぷりと浸かり、高校時代には早くも英語の原書を読み漁っていたらしい。どうも、現代米国文学に関しては、大学の講師が余裕で勤まるほどの、豊富な知識を持っているようである。

また、英語圏のポップス、ジャズにも詳しく、彼の小説には、僕の分からぬ、あるいは名前だけ知っているような20世紀後半の米国のアーティスト、彼らの代表曲がひっきりなしに引用される。

20世紀後半に絶頂期を迎えていた米国カルチャーを上手く小説の小道具として利用し、この時代特有の空気を上手く描ききったという意味で、確かに村上さんの小説はよく書けているとは思う。

これは、否定的な角度から見ることもできる。つまり、日本的な、あるいは東アジアな面白い文化的材料をネタにして、物語をうまく転がしてゆく… そういう展開が全く無いのである。

だから、というわけでもないだろうが、そう言えば春樹ワールドに出てくる人間たちは、人生の選択の幅が狭い。必ず都市に住んでいて、都市型の単身者や少人数の家族だけが登場する。大家族はあり得ない。妻と上手くいってない男性や、恋人を失ったばかりの女性ばかりが次から次に登場する。一方で、ケンカしつつも何とか離婚せずに日々を送っている…という、一般庶民の多数派はまず出てこない。

ライフスタイルもワンパターンだ。みな、服装や車やアクセサリーの種類についてやけに詳しいが、その正反対に、食生活のレパートリーは非常に貧しい。食事の主食は、半分以上がサンドイッチかスパゲッティ―かピッツァ。サラダが必ず付いているので栄養学的には問題ないのだが、「漬物はいらないのかい?」と突っ込みたい気がいつもする。たまーに親子丼や蕎麦が出演を許可されるが、あくまでもサプライズ・ゲスト。トン汁もお茶漬けもトムヤムクンも四川火鍋もインドカレーも、まず出てこない。現代の東京の食文化の豊かさを考えると、奇妙なばかりの貧しさだ。

今の僕にとっては、この“春樹ワールド”特有の演出がすっかり鼻についてしまった。そんな訳で、ここ20年の僕は村上さんの小説を買ったことがない。確かに、小説とは虚構の物語を通して人間を描くのが当たり前だが、しかし、ある程度のリアリティーが必要である。その“ある程度”を突き破ってしまった設定では、とても読者として付き合いきれない。

いちおう、書店で平積みになっている村上さんの新刊を、見るたびに手にはとる。しかし、パラパラとめくり、

「あー、主人公、またスパゲッティ―茹でているのかよ…。そして、結婚はしてるけど、子供はやっぱり居ないのね…。もういいよ。」

とため息をつき、パタンと閉じて買わずに店を出てくる。

芸術とは、カギとなる場面で意外性がないとダメだと思う。そういう意味では、村上さんの作品は、読んで感動することが難しい。

どうも作品やインターネットで閲覧できるインタビューから推定する限り、村上さんは日本、あるいは日本を含む東アジアの文化や歴史にはほとんど興味がないし、勉強する気も無いようである。つまり、上に記したような特徴は、必然的に発生しているのであって、意識的にやっているのではないのかもしれない。冷たく言えば、それしか書きようがないのだろう。

ただし、逆に言えば、だ。こんなに欠点だらけなのに、書く小説書く小説すべてベストセラーになるのだから、凄い小説家ではある。

思うに、村上さんは自分の持ち駒が「少ない」ことを自覚し、注意深く物語をよく練り上げ、その中にこれらの材料を埋め込み、成功しているのだと思う。材料の貧困さを、ストーリーと演出の技術でカバーし、大成功しているのである。職人的小説家として実に尊敬すべき方である。

(※あと何回か続きます。)