<理念はいま 憲法施行70年> (2)「戦前回帰」 怒り湧く 

最近、八十年ほど前の光景が、しきりにまぶたに浮かぶようになった。

 意味の分からない文章を、繰り返し読み聞かせる祖父母。社(やしろ)の前で、立ち止まっては深々と頭を下げる子どもたち…。

 津市緑が丘の元中学校教諭、山口謙次さん(88)に遠い記憶をよみがえらせたのは、戦前の「教育勅語」だ。安倍政権は四月、道徳などで教材として使うことを「否定しない」と表明。稲田朋美防衛相は「親孝行などの核の部分は取り戻すべきだ」と発言した。テレビや新聞の報道に触れるたび、山口さんは、ぞくりとした。

 父の転勤に伴い、幼い頃に転校したどの学校も、教室に天皇御真影(ごしんえい)を掲げていた。校門脇には、御真影教育勅語の写しを納めた奉安殿。登下校の際に最敬礼を怠ると、見張りの上級生に殴られた。

 「朕惟フニ(ちんおもうに)…」。学校でも家でも、教育勅語を「奉読(ほうどく)」して暗記した。教師は天皇を神とあがめ、敵陣で自爆した日本兵をたたえた。山口さんの夢は「壮絶に戦死する兵士」になることだった。

 旧制津中学(現津高)の生徒だった一九四五(昭和二十)年の夏に終戦。しかし、頭にたたき込まれた教育勅語の呪縛は、簡単には解けなかったという。

 翌年十一月に現憲法が公布されたが、一条の「天皇は日本国の象徴」、九条の「戦争の放棄」の意味が、当時の山口さんには唐突で理解できなかった。四八年六月には、国会が教育勅語の排除・失効を決議。しかし心の中でわだかまりが消えていったのは、中学校教諭になって以降だ。

 歴史の授業を受け持ち、津の戦災調査を始めた。焼夷(しょうい)弾のかけらや焼けた建物の一部を収集。空襲の死者千三百人以上の名前を確認する作業を通じ、戦争の悲惨さを改めて実感した。戦時体験を語り、「戦争展」を市内で開いた。

 山口さんの教員生活は、戦後民主主義のもとで不戦を誓い、戦前・戦中への反省から平和教育を実践していった日本社会の歩みと重なり合う。

 しかし山口さんの心の中で近年、違和感のようなものが膨らんでいた。

 二〇〇六年、改正教育基本法に「愛国心」の理念が盛り込まれた。一四年には、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を閣議決定。そして今回の、政府による教育勅語の再評価だ。

 政府は、教材使用について「憲法教育基本法に反しない形で」と強調するが、名古屋学院大の飯島滋明(しげあき)教授(憲法学)は「教育勅語は主権在君の考えに基づき、国民主権の現憲法にそぐわない」と指摘する。

 足腰が弱くなり、「語り部」から身を引いた山口さん。戦争展も後進に託した。「戦前回帰」と感じる一連の動きに「犠牲者が忘れ去られていくようで怒りが湧いてくる」。

 七十年前、清新すぎて戸惑った現憲法を、今は、かけがえのない存在と感じる。「私は天皇、国家に尽くすことだけを考える『臣民』でした。それが、基本的人権をもつ『個人』になれたのですから」

 <教育勅語> 正式名は「教育ニ関スル勅語」。大日本帝国憲法公布の翌1890年、明治天皇の名で発布され、教育の根本理念とされた。12の徳目の中に「危急の時には、一身を捧(ささ)げて皇室国家のために尽くせ」との内容があることなどから、戦前・戦中の軍国主義教育に利用されたとされる。終戦後の1948年6月、衆院は「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている」として排除を決議。参院も失効を確認した。