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点鬼簿之事件簿(その85)―三遊亭園歌師匠の訃報

「授業中」等の新作落語で、人気のあった落語家の三遊亭園歌師匠の訃報が伝えられました。嗚呼……

<引用開始>

落語協会会長の三遊亭圓歌さん 死去

古典から新作落語まで歯切れのよい語り口で知られ、落語協会の会長も務めた三遊亭圓歌さんが、23日、東京都内の自宅で体調を崩し、搬送先の病院で腸閉塞のため亡くなりました。85歳でした。三遊亭圓歌さんは東京生まれで、旧国鉄の駅員を経たあと、終戦直後の昭和20年9月に先代の圓歌に入門しました。三遊亭歌奴の名前で活躍し、「山のあな、あな」というフレーズで知られる「授業中」という落語などヒット作を連発し、多くのファンを獲得しました。

昭和45年に三遊亭圓歌の名跡を襲名し、自分の家族をモデルに高齢化社会を風刺した「中沢家の人々」など、新作落語を中心に落語界をリードしてきました。平成8年に落語協会の会長に就任し、平成18年からは最高顧問を務め、後進の育成にも尽力してきました。圓歌さんは80歳を超えても精力的に高座に上がり、現役を貫いてきましたが、落語協会によりますと、23日、都内の自宅で体調を崩して、病院に搬送され、結腸がんによる腸閉塞のため亡くなったということです。

<引用終了>

出典Web:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170424/k10010958941000.html

わたくしに取りましては、園歌という名前よりも歌奴の名前が、親しみ深いものがありました。最近落語家で「爆笑王」という謳い文句は、故林家三平師匠に付けられる事が多い様ですが、わたくしは高座における落語家の爆笑王と言えば、園歌師匠ではなかったか、と思います(三平師匠は、通常の落語家の範疇を超えた爆笑王であった、と思います)。

嘗ての歌丸小円遊のやりあい程ではありませんが、園歌師匠と三平師匠もよくお互いをけなしあっていた事を覚えて居ります、。「三平が兵隊に行ったから、日本は戦争に負けちゃったんだ。何しろ『どうもすいません』と云って敵兵をズドンと鉄砲で打っておいて、斃れた相手に『身体だけは大事にしてください、ってんだから」とは今も覚えている園歌師匠の台詞でありまして。

後年は「こんな事を言ってたら、ある人から『三平さんは兵隊に行っていません。いい加減な事を言わないでください』だって。噺家がいい加減な事を言わないで、どうするんだ」というフレーズもちょいちょい耳にしました。

嘗て大いに笑わせてくれた噺家さんの訃報に接して、寂寥感が湧き上がってくるのを止めようもありません。謹んで故人の御冥福を御祈り申し上げたいと思います。