誰のことだか分かる人もいると思うけれども

 一応、匿名で書く。

 昨日、ある友達さんと絶縁した。

 リアルではヘタレもヘタレ、アリにも負けるが(苦笑)、ネットではほぼ向かうところ敵なし、人呼んで人間発電所な(例えが古いね)私である。また何かしょーもないケンカでもやらかしたんだろうと思われるだろうが、その通りである。

 相手は、ひと月ほど前に新しく友達になった人だった。

 私の日記を読んで、友達申請をしてきたのだが、基本、私は顔見知りとしか友達になるつもりはないので、いささか躊躇した。けれども、相手のプロフィールを読むと、心と体の両方に病があって、他人の日記を読むのが唯一の楽しみ、なんて書いてある。

 断るには忍びなくなって、日記を読まれる程度のお付き合いなら構わないかと思い、申請を承認して友達になった。

 ところがそれからがおかしな具合になっていった。

 その人は、私が書く日記、つぶやきのことごとくに「イイネ!」をつけてくるのである。つぶやく回数が多い日には、十数個、それも書き込んでさほど間を置かないうちに「イイネ!」が付く。

 読んでいただいている分にはありがたい話なのだが、ちょっとマメに過ぎるというか、私の日記にはかなり煽情的な内容のものも交じっているので、それにも賛同を示してくれているのかと、段々と疑問に感じるようになっていった。

 そして、友達さんのアクティビティを見ると、その人がほぼ分単位で、友達を増やしているのを見て驚いた。ついこの間、mixiに入ったばかりらしいのに、友達の数がどんどん増えて千人単位になっている。

 「日記が読みたい」――それは本当に本当の本心なのだろうか? 第一、これだけの人数の日記を閲覧するとして、一日で読み切れるものなのだろうか?

 「イイネ!」を付けてもらっているのに、居心地悪く感じるのは僭越なような気もしたが、実際にどうにも違和感をぬぐえないのである。相手の日記を読んでみても、何か感覚的なズレを感じることもしばしばだった。

 どうしたものかな、と思っていて、前回、『彼らが本気で編むときは、』の感想を書いたときに、やはり「イイネ!」が付けられたので、これはちょっと聞いてみなければならないと思った。

 メッセージで、「『彼らが本気で編むときは、』をご覧になって、そして私の日記を読んだ上で、『イイネ』を付けたんですか?」と尋ねてみた。

 返事はすぐに返ってきた。映画は観ていない、観たいと思ったから「イイネ」を付けた、という内容だった。

 日記は読んだか読んでいないかは書いていない。どちらとも取れる内容ではある。けれども、読まずに「イイネ」を付ける行為がいかに失礼かは相手も分かるだろうから、あくまで「日記は読んだもの」という前提で、「では、なぜ映画を観ていない人はこの日記を読まないでください、と注釈を付けておいたのを無視して、なおかつ『イイネ』を付けたのか? そんなことをされても嬉しくない」と問い質してみた。

 途端に、友達を切られたのである。「やはり読まずに『イイネ』を付けていたのですね?」とメッセージを送ったが、着信拒否されていた。相手のスレッドに書き込んだものも削除されたので、もはや是非も無しと、こちらもアクセス禁止の措置を取った。

 まあ、これで、確信が持てた。やっぱりその人は、本文を読みもしないで「イイネ!」を付けていたのである。それはおそらく、私だけではなく、他の人に対しても同様なのだろう。

 心に病を抱えている人だから、どこかで誰かとつながっていなければ心の平穏を保てない、ということもあるのだろう。けれどもそんな人にとっては、ネットは諸刃の剣である。

 友達の人数が多いから、今は関わってくれる人も多いけれど、こんな接し方をしていては、じわじわと友達を失っていかざるを得ない。焦ってまた友達を増やす。それでも人は減っていく。悪循環だろう。

 「イイネ!」を連発していたのも、外交辞令ではなく、友達を繋ぎとめておきたい一心だったのだろうとは思う。けれどもそれは、自分のことばかりを考えて、相手の気持ちを慮らない行為だ。こちらも日記を片手間で書いたりはしていない。一生懸命に書いている。いつも巧く書けなくて落ち込んでしまうこともしばしばであるが、それでも書き続けているのは、昔、妻から「書ける人が書かないのは怠惰(だったか卑怯)」と言われたからだ。

 「どうせ、私が書くものなんて、たいした価値もないんだから」なんて思うことは、書かない理由にはならない。それを決めるのは私ではなく、読む人だからである。

 だから自分の表現力の拙さに目を瞑り、言い足りないと感じたところは、また日を改めて、次の機会を作って書く。そうして書いてきた日記に、読みもせずに「イイネ」を付けられても、腹立たしさしか覚えはしない。

 そういう気持ちまで斟酌するような心の余裕が、その人にはなかったのだ。同情はするが、それ以上に付き合ってやれるほどの余裕だって、こちらにはない。

 「書ける立場の人間は書かなければならない」。

 それが私が日記を書き続けている動機であるから、読まれること、イイネを付けられること、コメントを書かれることは、全て結果論である。たまに小さな炎上を起こすこともあるが覚悟の上だ。

 もとより、世間の常識と思われているものに対してそれは非常識とケンカを売ってるような内容の日記であるから、ムッとされる方も少なくないとは思うが、友達のみなさんには、そうした私のスタンス自体はご理解いただいているものと思っている。

 やっぱり、相手への同情心なんかで友達承認なんてするものではないね。