北朝鮮拉致被害者の蓮池 薫は拉致加害者でもあったと指摘した古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』2011年 1

http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1056772216.html

【忘れられる前に忘れられた問題−北朝鮮による日本人拉致被害者は,あの国のための工作員要員として拉致され,そして利用された事実もあった】

安倍晋三政権にとっての北朝鮮・日本人拉致問題の利用価値】

 ? 古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国−朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?−』2011年9月

 最近,Amazon の通販でこの本,古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国−朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?−』(第三書館,2011年9月)を購入し(ちなみに価格は¥192−),読んでみた。

古川利明表紙

 その感想としては,いままではっきりと認識できていなかった「当然の事実」,すなわち,蓮池 薫を代表的な人物として挙げて話題にすることになるが,彼は第1義的にはもちろん「拉致被害者であった」けれども,北朝鮮にすっかり洗脳されてしまい,あの国の工作員として日本に潜入(密入国)し,第2義的には「実際に日本人を拉致する側(加害者)の立場」になって,「北朝鮮のために働いていた事実」があったことである。

 補注1)この点(事実)は,蓮池 薫『拉致と決断』(新潮社,2012年)を注意深く読めば,さらに理解できる問題性である。北朝鮮の支持者は『在日朝鮮人』(日本で生まれいままで生きてきた朝鮮総聯系の人びと)であっても,その洗脳をあらためて「洗い流す作業」に困難が控えている事実からも,前段の指摘の妥当性・合理性が理解できる。もっとも「北朝鮮のために働く事実」は,なにも拉致の任務・作業だけではないが……。

蓮池薫表紙

 補注2)公平を期すためにまえもって,つぎの記事も紹介しておく。こちらは前後して述べる内容に疑義を呈している記事である。「蓮池さんが日本人拉致? 『週刊現代」特ダネの真贋』」(『JCAST ニュース』2006/12/26 19:08,http://www.j-cast.com/2006/12/26004615.html?p=all)。しかし,これは,北朝鮮という国の特殊性をまともに踏まえた記事ではない。常識など通用しないあの国家体制をどう理解するか,相当慎重な態度・視座が要求されている。

 −−古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国−朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?−』の316頁以下が,本日とりあげようとする中身を記述していた。なお,この記述が引照していたのは,『週刊現代』2007年1月6・13日合併号に掲載されていた「◆つぎの記事◆」の内容であった。この内容を以下に紹介する。

◆ 横井邦彦稿,家族会の暗部 蓮池 薫さんは

拉致工作員として日本に上陸していた(反米嫌日戦線)◆

 拉致家族も拉致実行犯であったことを隠して,世論操作する安倍内閣。本日発売(2007年1月時点の話),週刊現代の衝撃スクープだ。

 この記事によれば,社会主義労働者党を結成した横井邦彦氏が北名古屋市鴨田小教諭だった1986年3月18日,卒業式予行演習後の体育館に侵入した蓮池氏に声をかけられ,他の複数の工作員により拉致されそうになったという。

横井邦彦画像 横井氏の証言によれば,国政選挙の候補予定者(同年7月の参院選に出馬落選)が失踪すれば,警察が黙っていないと告げると,蓮池氏は,拉致を断念し「口外したら命はないぞ」と捨て台詞をいい去っていったそうだ。

 出所)左側人物の画像はツイッター画面( https://twitter.com/zr8k )から拾ったが,横井邦彦と名のっている人である。右側にかかげた古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』316頁の「画像の人物」と一致するものにみえる。

 「蓮池氏ら拉致被害者5人が帰国してから,内閣府拉致問題・連絡調整室,外務省北東アジア課,新潟警察の3つの部署が,5人に対し個別に任意で話を聞いてきました。なかでも一番詳しく聴取したのは,内閣府拉致問題・連絡調整室です。内閣府には『蓮池ファイル』と呼ばれる膨大な証言録があって,外務省も必要に応じて問い合わせていました。

 当時このファイルを管理していたのは,現在,首相首席秘書官を務める井上義行氏ですが,実際にファイルを作成したのは,蓮池氏への面会担当者でもあった小城徳勇氏です」(外務省元北朝鮮関係者)。蓮池氏は,「金日成政治軍事大学を卒業して,烽火大学に進学した」と横井氏に話したという。

 これが真実としたら,蓮池 薫氏はスパイのエリートであったこととなる。横田めぐみさんもスパイに日本語を教えていたそうだし,拉致被害者が拉致実行犯になる可能性を否定することはできない。いままで,マスコミは一部を除き,拉致家族会のいいなり報道に終始していた。

 宮崎 学は〔2006年〕10月の一水会フォーラムにて,拉致家族会に対するこのような報道の姿勢を批判している。それと,気になるのが,拉致問題に関しての報道のあり方なんです。これも,悪役と被害者というものをきわめて対照的に描いている。事実,被害者は宮崎学被害者なんですがね。被害者の立場にあまりにも感情移入しすぎている傾向がある。僕はそのように思います。

 

 ですから,これは劇場型ということであれば,あるとき,これは醒めるときがくる。そういう種類のものだろうと。これは,皆さんご異論があるだろうと思いますが,拉致被害者小泉純一郎がいって帰ってきた。何人か帰されてきましたが,この時に僕がいったのは,残された人たち,あるいは殺された人たちがいますね。

 この人たちと,帰った人たちの関係はきちっと報道されているのだろうか。つまり,一番しっているのは帰ってきた人たちなんですわ。その人たちは責務としていう必要がある。僕はそう思ったわけですね。すぐに批判を受けたわけですけれども。報道のあり方として考えた場合に,そう思うわけです。

 簡単に想像できるのは,残された人は,北朝鮮に反抗的な人,帰ってきた人は,北朝鮮に忠誠を誓っている人,美しい国北朝鮮に「愛国心」をもっている人ってこと。まさか,祖国北朝鮮を裏切り,日本に帰らないだろうと思われた人たちのみを,北は日本に「一時帰国」させた。

 北朝鮮拉致事件に関して当事者でありながら強行な態度に出ているのは,帰国した拉致被害者が,拉致の実行犯でもあったことに起因しているのではないか? 安倍政権の支持率維持〔これは第1次安倍晋三政権時の話であるが〕に,拉致問題が利用されている現実をどう思っているのか?

 蓮池氏よ,真実を語ってくれ。

 b) 正直にいいます。いまさら隠していてもしかたがありませんので,私がしっていることをすべていいます。私(横井邦彦)は1986年に日本で蓮池 薫氏に会っています。正確には,拉致されそうになったという方が正しいいい方だと思います。拉致被害者が日本で拉致未遂事件を起こしていたなどという話は,にわかに信じがたいからこれまで黙っていたのです。

 補注)蓮池 薫が北朝鮮に拉致されたのは,1978年7月31日。なおこういう指摘がある。蓮池が2002年10月15日に「帰国後,地村夫妻から『先生』と呼ばれていたことなどから,帰国者5人の中でも目付役的な存在と目されたが,本人はこれを否定」。

 註記)http://nyt.trycomp.net/jokyo/05.html ただし,朝鮮語(韓国語)における「先生」の語感は日本語とは異なるので,注意が必要である。

 テレビで蓮池 薫氏が飛行機のタラップから降りてくるのをみたときには,「あのヤローだ」ということはすぐに分かりましたが,この時期は私とマルクス主義同志会の関係が極端に悪くなっており,最終的に私がマルクス主義同志会から追い出され,赤星マルクス研究会をつくり,ホームページを立ち上げるという私の人生の大きな転回点だったので,私自身が拉致問題どころではなかったということも大きな理由のひとつです。

 それに,赤星マルクス研究会を立ち上げてすぐに,「実は私は」などと名乗り出ることは,私自身の売名行為のようで気に入らなかったし,あのころはまだ蓮池 薫氏の家族が北朝鮮に残っており,彼に「お前,あの時のヤツだろう」などというのも酷だと思ったので黙っていました。

 しかし,いまの私は失うものはなにもないです。だから正直に言います。私は,1986年当時愛知県の小学校の教師でした。私の勤務していた小学校は愛知県西春日井郡西春町にある鴨田小学校という学校でした。

 1986年3月の下旬のことでしたが,そのとき私は視聴覚担当をしていたので,鴨田小学校の体育館で,卒業式の練習を終えて,1人で会場の放送用具の整理をしていました。蓮池 薫氏はそこへやってきました。そこで30分ぐらい彼と話をしました。

 彼の話は彼が拉致被害者であるということと,いろいろな理由で北朝鮮につれてこられたり,自分の意志で北朝鮮に来たりした日本人は100人以上いるということ,自分はそういう人たちの “面倒を見る立場” に置かれているということ,北朝鮮赤軍派で内部闘争があり,北朝鮮当局が田宮を指導部からはずしたがっているということ,北朝鮮に来れば田宮の代わりに私を指導部に入れたいということ,私を北朝鮮に連れて行くために,“潜水艦ではない船” で秘密裏に日本にやってきた等々でした。

 

 もちろん私は,はっきりと蓮池 薫氏の申し出を断りました。日本の革命運動を北朝鮮でやるということの意味がまったく分からない,日本の革命運動は日本でしかできないのではないかということと,私と北朝鮮政府の見解は大きく異なっており,私は北朝鮮社会主義国家だと思ったことはないというのが断わった主な理由でした。

 そうしたら蓮池 薫氏は,ここまで秘密を漏らしたらこのまま返すことはできない,力ずくでも北朝鮮に連れていく,というとんでもないことをいいだしたのです。しかし,残念なことに蓮池 薫氏はそれを実行することはできませんでした。私は,蓮池 薫氏に彼が私を拉致することができない理由をはっきりと説明しました。

 いうまでもないことですが,私は1986年3月いっぱいで小学校を退職し,社労党(社会主義労働者党)から参議院愛知地方区に立候補することが正式に決まっており,それはもう記者会見を開いてマスコミにも伝えていたからです。国政選挙の立候補予定者が突如としていなくなることの意味を考えなくてはならない,これは普通の人がいなくなるのとはまったく意味が違うのだと,

 しかも私は,労働者階級の利益を守るために立候補するといっているのだから,私を拉致することは朝鮮労働党が日本の労働者階級にケンカを売るのと同じだと,朝鮮労働党が日本の労働者階級の敵となってなお生存を続けることは絶対的に不可能であるというようなことをいった記憶があります。

 私と蓮池 薫氏が話をしている間に,夕方だったのではっきりとはみえませんでしたが,私たちのまわりには数名(2,3人)の不審な人物がいました。蓮池 薫氏は私の話を聞いて,そのなかの指揮者とおぼしき人物のところに相談にいって,数分の間,話をした後で私のところへ戻ってきて,今回はあきらめるといって去っていきました。

 なお「指揮官とおぼしき人物」は,横田めぐみさんのダンナ称する人物とよく似ていたような気がしますが,蓮池 薫氏のように数十?の至近距離で直接言葉をやりとりしたわけではないので,はっきりと断言できません。このとき,蓮池 薫氏は私にくだらない脅し文句をいくつかいったような気がしますが,それはすべて忘れてしまいました。

 以上が,私がしりえた出来事のすべてです。

 c) それで,拉致被害者が全部は死んではいないという根拠ですが,ひとつは,蓮池 薫氏は拉致被害者のなかでも多くのことをしりうる立場にあり,彼が私にいったことの多くはそれなりに当たっていたということ。

 ふたつめは,蓮池 薫氏のように北朝鮮で特別の任務を与えられて生きていた拉致被害者は彼だけではなく,その他にもいるのではないかということ。そして,そういう人びとは殺されたり強制収容所に送られる理由はないので,彼らがいまだに生きている確率は高いということです。

 なお,こういうことは被害者である私が語るよりも,加害者である蓮池 薫氏が語るべきことがらなのではないですか。なにしろ彼は当事者であり,すべてを語るといっているのだから,私の拉致未遂事件を含めて,すべてを語る責務は私にではなく,彼のほうにあると思います。

 なお,蓮池 薫氏が私のところに来た理由は,彼が私を赤軍関係者と誤解したためです。この誤解についてですが,実は,浅間山荘事件で逮捕された連合赤軍のK氏はどういうわけか,浅間山荘で逮捕されたとき,私の名前と住所と電話番号を書いたメモをもっており,そのことで私の実家にはパトカーが2台も来た。

 そこで私が不思議に思うのは,田宮たちが北朝鮮に渡ったのは1969年で,連合赤軍事件が起こったのは1972年であり,この事件の関係者たちはすべて長期投獄されている。したがって,蓮池 薫氏が私を赤軍関係者と誤解するというのは,理解しがたいものである。

 日本国内の赤軍関係者ならば,私と彼らがまったく異なる政治的な立場に立っていることぐらい,私が説明しなくても彼ら自身が一番よくしっていることがらであるし,北朝鮮赤軍派ならば私の存在じたいをしらないはずである。

 むしろこういう誤解は,私の実家に来たバカなパトカーの関係者のものであったろうし,私に対する拉致計画そのものが,客観的にみれば,社労党(社会主義労働者党)の選挙運動に対する悪質な選挙妨害以外のなにものでもなかったのだから,この計画の主たる発案者は,むしろ北朝鮮政府ではなく,日本国内にいるわれわれ社労党(社会主義労働者党)の参議院選挙への参加をこころよく思っていない勢力なのではないかと考えるのが妥当であろう。

週刊現代2004年1月6・13日号 そういう点では,これは語られなければならない,闇に葬ってはならない政治的な事件だったと思います。北朝鮮政府(金 正日政権)が,日本の反動勢力とつるんで,日本の労働者階級の選挙闘争を圧殺しようとしたという事実は,歴史のなかにどうしても書き残さなければならない重大な出来事であると私は思うから,あえて真実を語るのです。

 註記)http://ameblo.jp/souldenight/entry-12014029253.html

 再言しておくが,以上の『週刊現代』2007年1月6・13日合併号(32頁,右側画像はその表紙,モデルは藤原紀香)の記事は,古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国−朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?−』2011年9月にも,そのままくわしく紹介されている内容であった。